さよならデパス(断薬成功)

抗不安薬デパス依存18年からの断薬成功記録。

2015年05月

離脱症状を振り返る〜なぜか焦燥感が消えていく〜

パキシルを飲まないと決めた夜。
やはりこの日の出来事が私の断薬プロセスの中で大きな意味を持つと今でも思う。


2013年の正月明け。
新たな心療内科の診察の前日の夜。
妻に言葉を投げかける。

「明日、もしジェイゾロフトでなくパキシルを処方されたらどうしよう?」

「・・・まぁ、その時考えよう」

「そやな」

ネットでパキシルの断薬時の離脱症状が辛いとの情報が多数有った。
だから出来ればジェイゾロフトの方がいいなと何となく思っていた。

当然のごとく一睡もできなかった。

診察当日、結局パキシルが処方された。
妻と二人で受け入れた。
以前のブログに書いた通り。

今までの焦燥感に加えてパキシルを服用するという不安が襲う。

その夜、悩んで悩んでパキシルを飲まないと決断した。
そして何故かその日の夜から焦燥感が軽減していった。
これも以前のブログに書いた通り。

飲まないと決めたその夜は眠ることができた。
決して熟睡ではないけれど。

翌朝、いつもの朝より焦燥感が軽くなっていた。
その日の昼間もいつもより焦燥感が軽減されていた。
夕方、一番焦燥感がひどい時間帯にさしかかった。
やはり焦燥感が増してくるが普通に耐えられるレベル。
明らかに焦燥感が軽減されていると確信した。

それからは日毎に焦燥感が消えていった。
一番辛い焦燥感だけでも治まってくれたことが本当に有り難かった。

今でも考える。
どうして焦燥感が軽減していったのだろうか。

明らかに脳が誤作動して引き起こされた「焦燥感」
絶対に精神力では制御できないと思っていた「焦燥感」
心の持ちようではどうしようもないんだよ!と思っていた「焦燥感」
だから本意ではないけれど薬に頼って何とか凌ごうとした「焦燥感」

それが薬に頼らないと決めた瞬間から軽減されはじめた。
嫌な薬を飲まないで良いという安心感が脳に作用したのだろうか。

いつだったか断薬も完了して元気になった私に母が尋ねた。

「あの時、パキシルを飲まないと決めたから焦燥感がなくなったの?」

私は答えた。

「よくわからん。けれども耐えて良かったわ。多分・・ご褒美や。」

離脱症状を振り返る〜焦燥感が治らない〜

2012年の秋。
年末が少しずつ迫って来ていた。
鬱のような精神状態は一向に改善されない。
食欲も相変わらずない。
体重がどんどん落ちていく。

毎年、年末年始は妻の実家を訪れる。
年末までには離脱症状を治したかった。
妻の両親に知られる前に。
こんな状態になってしまった事は知られたくなかった。

年末までには治したいという思いが作用したのか、新たな離脱症状が私を襲い始めた。

猛烈な焦燥感。

とにかくじっとしていられない。
横になっていられない。
貧乏揺すりで気を紛らせるが効果は余りない。
口を開け天井を眺めながら両膝を叩く。
とにかくつらい。
家の中を歩き回る。
焦燥感は消えない。
思わず口から声が出る。

〜助けて下さい〜

けれども焦燥感は消えない。

そんな状態が朝から夕方まで続いた。
夕方のピークを乗り越えると夜にはかなりマシになるのが救いだった。

年末年始に妻の実家を訪れるのは無理。
妻の両親に知られるのは必至。

もう20年近く前の事を思い出した。

〜娘さんを絶対に幸せにします〜


妻のお父さんに誓った事を。

〜今、私はあなたの娘さんを幸せにできていません〜

焦燥感が増してくる。
大変な事になってしまった。
更に焦燥感が増してくる。

そんな私を少しでも落ち着かせようと妻が言う。

「もし症状が改善されなかったら年末年始はウチでじっとしていよう。別に実家に帰る必要ないから。その時は両親にバレないように上手く言うから安心して。」

その言葉で焦燥感が軽減する事はなかったけれど少しの安堵感をおぼえた。

この焦燥感は年末年始に向けて加速した。そして途方に暮れた私達は過去のブログに書いた通り抗鬱薬の服用を決意する。
つまりそれほどまでに焦燥感は酷かった。
今でも母が言う。
「焦燥感に苦しんでいるお前を見るのが一番つらかった」

それほどまでに苦しかった焦燥感が軽減した。
それは2013年の1月。
初めてパキシルを処方してもらった日。
初めてパキシルの錠剤を目の前にした夜。
やはりパキシルを飲まないと決めた瞬間の事だった。








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